かつてアメリカには、ゴールドラッシュという時代がありました。世界中から人々が集まり、金脈を狙うのです。
しかし、穴を掘ったからといって、そこから金が出るかはいちかばちか。金が出る層にまでたどり着くには、何十メートル、何百メートルと穴を掘り進めないといけないし、命を落とす危険とも、常に隣り合わせです。
多くの人はあきらめ、土地を荒らすだけ荒らして、帰っていくのでした。
しかし、中にはラッキーな人もいます。誰かが堀った穴を、ほんの30センチ掘り進めるだけで、金脈を発見した人もいたのです。
直前まで頑張って掘った人は、もう少しあきらめずに掘っていれば、大きな成果につながっていたかもしれないのです。
目標に対して、もうちょっとだ、と励ますとき。
結果は良かったけど、何か足りない。そんなときのスパイスとして。
「金」を何に置き換えるのかで、幅広い話題に対応できる素材です。
学校というところは、合唱が大好きです。
学級で合唱に取り組むのが大好き、という先生もたくさんおられます。
なので、音楽の授業以外でも、合唱はたびたび登場するのです。
教師「クラスごとに何かに取り組ませたい」→教師「なら、合唱だ」
教師「卒業生に対して、在校生からなにか贈りたい」→教師「やっぱり、合唱だ」
合唱は練習すればするほどうまくなるでしょうし、行事として取り入れやすいのだと思います。
ただ、いつもいつも当たり前のように、合唱を推し進める風潮に強く違和感を感じました。
私個人的には、合唱をすることに抵抗はありませんし、中学生のときは合唱で賞を目指してクラス一丸となって頑張り、とてもいい思い出を作らせていただきました。合唱にはいい思い出が詰まっています。
しかし、中には合唱をすることに抵抗を感じる生徒もいるでしょう。生徒達が「卒業生を見送るために、在校生で歌を贈りたい」という熱い気持ちを持っているのであれば、それはすばらしいと言って合唱を取り入れればいいでしょう。
合唱部でもない限り、合唱を行事に取り入れるには、動機づけを十分に行う必要があると思います。
担任をしているとわかりますが、合唱が大嫌いでたまらない生徒もクラスにはいます。そのような生徒がいることを想定して、少しずつ、心に訴えて気持ちを向かわせるのですが、それはもう大変な心労です。
歌わない男子、ちゃんとやらなければという女子。男子がふざけだした瞬間、担任に注目が集まります。
怒るのもおかしい。かといって注意しないと大変なことになりそうだ。
ふざけていると、ちゃんとやっている人は悲しいぞということを伝えればいいのだろうか。
合唱で力を合わせるという目標を立てたから、それと照らし合わせて自分たちを見つめさせてみようか。
など、毎日毎日、奇跡でも起きてくれと祈るような気持ちで、学級での練習に挑むのです。
また、その練習の取り組み期間が長いのです。合唱の取り組み期間は気が気ではありませんでした。
まして合唱は、専門的な領域です。なので、「担任と生徒が共に挑戦をする場」としての合唱は、年1回で十分です。
そんな合唱でしたが、最後は割と充実した気持ちで終えることができたものです。そんなときに、みんなで頑張ろうの一押しとして、この素材を使いました。